◆イザヤ書43章18節~21節
43:18 先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。
43:19 見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。
43:20 野の獣、ジャッカルや、だちょうも、わたしをあがめる。わたしが荒野に水をわき出させ、荒地に川を流し、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。
43:21 わたしのために造ったこの民はわたしの栄誉を宣べ伝えよう。
◎背景
イスラエルの民は70年間バビロンの捕囚として暮らしました。失望の中に打ちひしがれていたイスラエルの 民に、イザヤは民がやがて彼らが捕囚から解放されて故郷に帰る日が来ると預言したのです。
Ⅰ.先の事どもを思い出すな。
1.将来の計画
神さまは、イスラエルに過去を振り返らずにご自身がなさろうとしておられる将来の計画に目をとめるように強く促しているのです。もちろん、神さまが 与えてくださった素晴らしい恵みを忘れてはなりません。しかし、未来に向かって進んでいくためには、忘れなければならないもの、捨て去らなければならない ものがあるのです。
2.忘れ(捨て)なければならないもの
新しい出発をする時に、しばしば私たちの前に立ちはだかる障害が二つあります。一つは、「失敗に対する恐れ」であり、もう一つは「現状に対する満足」です。過去の失敗、悲劇、今の人間的な満足、そのようなものに縛られていては、私たちは、前に進んでいくことができません。そこから恐れやためらいが 生まれてくるからです。私たちが神さまのビジョンを自分のものとするためには、すでに私たちの心を占領している否定的なものを取り出して捨て去ることが必 要なのです。
Ⅱ.見よ。わたしは新しい事をする。
1.主が導かれ、主が行われる
新しいことをなさる(神の計画を実現される)のは神さまご自身であって、私たちではありません。神様は私たちのためにご自身にしかできないことをなさると約束されるのです。神様が求めておられるのは、神の民である私たちがパートナーとして神のご計画の中に生きることです。
2.今、もうそれは起こり始めている
新共同訳では「今や、それは芽生えている。」と訳されています。あるいは「わたしは、すでにそれを始めている。」とも訳しても良い箇所だと思います。神様は「それはもうすでに起こり始めている。それが分からないのか。」と私たちに問いかけているのです。
Ⅲ.わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。
◎神さまのご計画の究極の目的
私たちが創造主である神さまを心から喜び礼拝すること、それが、私たち人間が作られた大きな目的の一つであると聖書は教えています。それはまた、私たちが心から神さまを賛美する者となる時に、神さまの良きご計画の実現が早められることを意味しています。