彼の打ち傷によって、私たちはいやされた

◆イザヤ書53章4節~6節
 
53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。

◎背景

53章は、旧約聖書全体におけるメシヤ預言の中心的な章です。また新約聖書の中で最も多く引用されている箇所でもあります。メシヤの受難、身代わりの死、そしてそれが何のためであるのかを語っています。

Ⅰ.彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。

1.救い主は私たちの病と痛みを負われる方

救い主(メシヤ)は私たちの痛みをご自身のものとして担われました。私たちの全ての嘆き、悲しみ、痛み、病をご自身のものとされたのです。救い主が、ご自身の上にそれらを全て担ってくださったのですから、私たちはもうそれらを抱えている必要はないのです。

2.私たちは自分の痛みを手放す必要がある

救い主が担ってくださったにもかかわらず、痛み、嘆き、悲しみを自分で抱えたまま生活していないでしょうか。救い主は、私たちからそれらを取り去さるために来られました。救い主からいやしを受け取るためには、私たちは自分の抱えている痛みを手放す必要があるのです。

Ⅱ.彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。

1.私たちの罪のために

救い主が苦しまれ、いのちを犠牲とされたのは私たちの罪のためであったとイザヤは預言しました。救い主の受難は私たちの罪を負った結果であると聖書は教えています。

2.私たちの身代わりとして

救い主は私たちの身代わりとして裁かれ苦しみを受けたのです。

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。 (Ⅰペテロ2:24)

Ⅲ.彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

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1.肉体的、霊的、全体的いやし

救い主が私たちにもたらすいやしは、肉体的いやしであり、また霊的いやしでもあります。

※参照:マタイ8:16-17、Ⅰペテロ2:24-25

2.救いの完成

聖書は私たちの救いに関して次のように教えています。

◎私たちはすでに救われている we have been saved

あなたがたは、恵みのゆえに、(すでに)信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。(エペソ2:8)

◎私たちは今救いを受けている we are being saved

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける(今、受けている)私たちには、神の力です。(Ⅰコリント1:18)

◎私たちは将来救われる we will be saved

もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。(Ⅰコリント3:15)

3.完全ないやし

いやしも救いと同様であり、「私たちはすでにいやされており」、「今いやしを受けており」、「将来、完全にいやされる」のです。聖書の教えている 「完全ないやし」とは死そのものから解放されることであ り、すべてのクリスチャンに与えられている将来の究極的ないやしの約束です。それに比べるならば、今、地上で起こっているいやしはどんなに素晴らしい奇跡であっても「修繕」にすぎません。(※参照:Ⅰテサロニケ4:14~17)

4.大胆な祈り

地上で肉体を与えられ仮住まいをしているのが私たちの姿です。やがて完全な救いといやしの中に入れられるのですが、この地上に生かされている間も恵みとあわれみに満ちた父なる神に信頼し、今、いやしがなされるようにと大胆に祈っていきましょう。