キリストの身たけに

◆エペソ人への手紙4章11節~16節

4:11 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
4:12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、
4:13 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
4:14 それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、
4:15 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。
4:16 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。

◎メッセーージのポイント

4章の前半でパウロはキリストのからだにある働き、奉仕、そして成長について語っています。その目指す所はキリストのようになることです。

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Ⅰ.羊飼い

「牧師または教師」を原語から読むと、「牧師」と「教師」というように二つの別の役職ではなく、むしろ「教師なる牧師」のように重なった一つの職務 として書かれているとする解釈の方が優勢なようです。牧師のもともとの意味は羊を養い導く羊飼いの意味ですから、「牧師または教師」は「教え、養い、導くことのできる羊飼い」と言うことになるでしょうか。教会の牧師が一人であったとしても、羊飼いの心を持った人が大勢必要とされていると思います。なぜなら 養うべき羊がたくさんいるからです。家庭であるならば、お父さんが、あるいはお母さんが羊飼いとして、ゆだねられた羊である子どもたちをみことばをもって 養っていく責任が与えられているのです。苦労の多い仕事かもしれませんが、実りの多い仕事でもあります。

Ⅱ.奉仕の働き

「奉仕」として訳されているギリシャ語は「ディアコニア」ですが、「しもべとして仕える」という意味で使われています。では、クリスチャンにとって の奉仕とは何でしょうか。教会でメッセージしたり、賛美をしたり、プログラムの準備をしたり、伝道したり、いろいろあるかもしれませんが、クリスチャンに 任されている奉仕は、もっと日常的なものだと思うのです。クリスチャンの夫婦であるならば、みなさんが優先すべき第一の教会はみなさんの家庭です。そこで 愛をもって奉仕をしていくようにと、お互いにしもべとして仕えるようにと結婚生活の中に召されているのです。お子さんがいるならば、神と人を愛する人へと 育てていくという大きな奉仕があると思うのです。それはすべて、キリストのからだを建て上げるためです。日曜日に来る教会だけが教会ではありません。召し だされた者たちのいるところ、そこにエクレシア「教会」があると聖書が教えているからです。

Ⅲ.キリストのようになる

「キリストのようになる」、ハードルが高すぎるでしょうか。でも、それが神さまが私たちに臨んでいらっしゃることです。WWJDという言葉を知って いますか「What would Jesus do?」(イエス様ならどうするだろう?)の頭文字をとったものです。アメリカでは良くクリスチャンのスポーツ選手がこのロゴのついたリストバンドなどを 身に着けています。キリストのようになるとは、イエス様が「仕えるために来た」とおっしゃたように、しもべとして仕えるということです。誰にでしょうか? まず最初は、あなたの一番身近な人からです。