◆エペソ人への手紙4章22節~32節
4:22 その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、
4:23 またあなたがたが心の霊において新しくされ、
4:24 真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。
4:25 ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。
4:26 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。
4:27 悪魔に機会を与えないようにしなさい。
4:28 盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。
4:29 悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。
4:30 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。
4:31 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。
4:32 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。
4:23 またあなたがたが心の霊において新しくされ、
4:24 真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。
4:25 ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。
4:26 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。
4:27 悪魔に機会を与えないようにしなさい。
4:28 盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。
4:29 悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。
4:30 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。
4:31 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。
4:32 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。
◎メッセージのポイント
4章の後半で、パウロは、聖霊の宮であるクリスチャン一人ひとりが聖く歩むように、聖い生活を送るようにと強く勧めています。パウロはまた、私たちが聖く生きていくためのカギがどこにあるかについても教えています。
Ⅰ.新しい人を着る
新しい人を着るためには古い人を脱がなければなりません。両方を着ることはできません。どちらを着るか選ばなければならないのです。私たちは、汚れ た服を着たまま、その上に洗濯してアイロンをかけた服を着て出かけるようなことはしません。「変わりたいけれど、変われない。」という訴えを良く聞きま す。クリスチャンであれば、みな「聖く生きたい」と願っておられると思います。が・・・、聖く生きられない自分に失望してしまいます。でも、ちょっと考え てみましょう。聖さとは何でしたか?聖書の言う「聖さ」とは特別な目的のために他から取り分けられるという意味でしたね。私たちに当てはめるならば、「この世から取り分けられた私たちが、神の目的とご計画のために生きる」ということなのです。私たちクリスチャンは、神のために取り分けられた者なのです。ただ、あわれみによって・・・。聖く生きることができるかどうかは私たちの選択にかかっていると聖書は教えています。聖く生きられないのは、古い生き方を捨 てられないからです。自分の力で、聖く生きることはできません。しかし、私たちが聖い生き方を選択するなら、聖霊がその歩みを助けてくださるのです。

Ⅱ.悪魔に機会を与えない
悪魔はどんな存在でしょうか?盗み、殺し、滅ぼすことが悪魔の目的であるとキリストは語っています。(ヨハネ10:10)神さまが私たちに与えた、 また与えようとしている良きものを悪魔は私たちから盗もうとします。また悪魔は、私たちと神さまとの関係を傷つけ、それを壊し、私たちから霊的ないのちを 奪おうとします。そして、できるなら私たちを滅ぼそうとするのです。それが悪魔の仕事であり、悪魔はそこに全力を傾けていることを私たちは知らないとなり ません。
キリストは弟子たちに、ご自身の語ることばを信じ、それを守り、そこに留まり、それを行うように命じました。そこに神の守りがあるからです。キリス トのことばに留まっている者を、悪魔は迫害することはできても、手出しをすること(盗み、殺し、滅ぼすこと)はできません。私たちにとって、みことばは神 のご支配を明確にするボーダーライン(フェンス)の役割を果たしていると思うのです。しかし、神様が私たちの周りに廻らせてくださったこのフェンスに自分で破れを作ってしまうならば、悪魔がそこから侵入すること許してしまうことになります。
忘れてならないのは、神のみことばは私たちが敵から身を守る武器であると同時に、神の御国を拡大するための最も強力な武器でもあるということです。 ただし、この武器は古い人を着たままでは用いることができません。新しい人を着た時にはじめて、その大きな力を発揮することができるのです
Ⅲ.聖霊を悲しませない
誰でも、愛する人を悲しませたくはありません。夫であり、また父親である私は、妻や子供たちを悲しませるようなことは決してしたくないです。妻や子 供たちが人格を持っているように、私たちのうちに住まわれる聖霊も人格を持ったお方です。心を持ったお方なのです。私たちを愛し、私たちとの親密な関係を 求め、私たちに最善を与えたいと願っておられる聖霊を、私たちは喜ばせることもできるし、悲しませることもできるのです。
私たちが、聖霊によって証印を押されているとは、私たちの所有者がもはや私たち自身ではなく、キリストであるということです。キリストは、ご自身の いのちを代価にして、悪魔の手から私たちを買い取ってくださったのです。キリストは私たちのために永遠に続く最善の道を用意してくださっているのです。こ のキリストのために生きる人生こそ、私たちにとって最も幸いな人生だと思うのです。