◆マルコの福音書12章26節~31節
12:28 律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」
12:29 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。
12:30 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
12:31 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」
12:29 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。
12:30 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
12:31 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」
◎一番たいせつな命令
律法学者たちは、(モーセ五書に記されている)律法「トーラー」の中に、「~しなくてはならない」という命令が248、「~してはならない」という 命令が365、合わせて613あると考えていました。ところが、律法学者たちは、その一つひとつの命令を守るための細則を考えだし、たくさんの細則が加え られていくようになります。これが口伝律法と言われるもので、やがて一つの命令に対して100~1000の細則が加えられるようになります。記憶力のすぐ れた教師たちがこれをすべて口頭で次の世代に伝えて行ったのです。この教えをまとめたものが「ミシュナ」と呼ばれ、これを後継者たちが解釈したものが「ゲマラー」と呼ばれています。「ミシュナ」と「ゲマラー」はAD220年ころには、成文化されたのですが、「ミシュナ」は1500ページ「ゲマラー」に至っ ては百科事典20巻ほどもあるそうです。(※「ミシュナ」と「ゲマラー」を合わせたものが「タルムード」と呼ばれています。)安息日に関してだけでも、 1500に及ぶ規定があるそうです。(例:「安息日に仕事をしてはならない。」という戒めに対して「900メートル以上歩いてはならない。」「いちじくよ り重いものを運んではならない。」「頭の中で数を数えてはならない。」など。)
このようなことを教えていた律法学者が、「すべての律法の中で一番たいせつな命令は何ですか?」とイエス様に問いかけたのです。イエス様の答えは、 「神である主を愛せよ。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」と、驚くほど単純なものでした。創造主である父なる神を愛すること、私たちの身近にい る人々を愛すること、そして自分自身を愛することが大切であり、それだけで十分ですとおっしゃったのです。

Ⅰ.父なる神を愛する
私たちにとって、一番大切な関係は、私たちを創られ生かされている創造主なる父なる神様との関係です。私たちはどやって目に見えない神様を愛するこ とができるのでしょうか。まず、第一に心から感謝することです。暗闇の中から救い。私たちに命を与え。すべての良きものを与え。何よりも愛してくださって いる方が、私たちの父なる神様です。創造主なる神様、父なる神様に感謝するように、喜ぶようにと聖書は命じています。愛は感謝と喜びを生み、感謝と喜びの あるところに愛が現されるのです。二番目に、神さまの声を聞いてそれを行うことです。父なる神様は愛する子供である私たちに目を留め、耳を傾けておられま す。私たちはどうでしょうか?聖書は、私たちが神の声を聞くことができると教えています。イエス様は、「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける」と語ってい ます。毎日の生活の中で、神様は必ず必ず私たちにしてほしいことがあるのです。それを聞き取って、実行していくときに私たちは神の愛の内に生きるようにさ れるのです。
Ⅱ.人を愛する
隣人とは、私たちの近くにいる人々のことです。その中には、自分の家族、夫や妻、子どもたちが含まれています。また、知人友人、袖触れ合うすべての 人が私たちの隣人です。隣人を愛するとは、まず、第一に身近な人々に仕え愛することです。次に、神の愛を知らない人々に神の愛を伝えていくことです。人々を愛することと、神を愛することは切り離して考えることはできません。私たちは聖霊の宮であると聖書は教えています。私たちのうちに住まわれている聖霊が、私たちを通して、周囲の人々にキリストの愛を伝えたいと願っておられるのです。
私たちは周囲の人々に変わってほしいと願いますが、私たちには人を変えることはできません。変えることのできるお方は神様だけです。一番の近道はまず自分を変えていただくことです。「変えてほしい」という願いがあるならば、神さまにはあなたを変える力があるのです。神様はあなたを通して、人々を赦 し、愛することのできるお方です。あなたが自分を明け渡す度合に応じて、聖霊なる神様はあなたを変えてくださるのです。
Ⅲ.自分自身を愛する
神様は私たちに、自分を愛するように隣人を愛しなさいと命じています。自分を愛せない人は隣人を愛することができません。私たちはどのようにして自 分を愛することができるのでしょうか。まず、第一に自分の目ではなく、父なる神の目で自分を見ることです。クリスチャンであるなら神の子とされています。 父なる神様は私たちを「わが子よ」と呼んでくださるのです。キリストは、私たちを悪魔の手から、ご自身の尊い血によって買い取りご自身のものとしてくだ さったのです。父なる神は、キリストのゆえに、私たちを義なる者と見てくださっているのです。あなたを罪責感で苦しめ、あなたが失敗者であるかのように、 価値のない者であるかのように思いこませているのは悪魔です。父なる神は、私たちを「価値ある尊い者」「わが子」「神の最高傑作」としてご覧になっていま す。私たちを愛しているのです。その真理に立って生きていくときに、私たちはキリストの姿へと変えられていくのです。