真理の帯・正義の胸当て

◆エペソ人への手紙6章10節~18節

6:10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
6:11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
6:13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。
6:14 では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、
6:15 足には平和の福音の備えをはきなさい。
6:16 これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。
6:17 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。
6:18 すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。

◎私たちの格闘

エペソの教会に宛てた手紙の最後の部分です。パウロはクリスチャンを神の兵士として見立て「霊的な戦いに備えるように」と語っています。「神のすべ ての武具をとって目に見えない敵である悪魔に立ち向かいなさい」というのがパウロのメッセージです。悪魔の策略、神の武具についていっしょに学びましょ う。

Ⅰ.真理の帯

神のみことばの真理に対抗して、悪魔が常に用いる最大の策略が「偽り」「欺き」です。悪魔が「偽りの父」(ヨハネ8:44)と呼ばれている理由は、 そこにあります。悪魔の語る偽りに耳を傾けて、心に受け入れてしまうならば、私たちの目は曇ってしまいます。その結果、みことばにある真理が私たちの心に 届かなくなってしまうのです。悪魔が語る偽りの影響下に、私たちの心をゆだねてしまうならば、次の三つのものが見えなくなってしまいます。その三つとは、 創造主である父なる神の姿、創造主の人間と被造物に対する御計画、神の子として創られた私たち人間の姿(立場)。

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イエス様は「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)と語られました。イエス・キリストご自身が、人となられた「神のことば」であり「真理」そのものなのです。イエス様は、「わたしを見た者は、父を見たのです。」(ヨハネ14:9)と も語られました。みことばにある真理は、救われた私たちに、次の三つのことを保証しています。①「義なる方、聖なる方である創造者が私たちとって愛に満ち た憐れみ深いお父さんであること」②「キリストが、十字架の儀性の死によって、罪の代価を支払い、その復活によって死と敵である悪魔に対して完全に勝利さ れていること」③「キリストを信じて救われた私たちが、罪赦され義とされ、神の子、神の相続者とされていること」これらの真理をしっかりと身に着けている ならば、悪魔の偽りを退けることができるのです。

Ⅱ.正義の胸当て

神のみことばの真理は、「キリストの贖いによって私たちが神の目に義とされていること」を保証しています。悪魔は、そのことを十分知っているのです が、それでも神の子とされた私たちを真理から引き離そうと執拗に攻撃してきます。悪魔の用いる二つ目の策略は、私たちに対する「告発」「非難」です。聖書 の中で悪魔は、「告発者」「訴える者」(黙示録12:10)と呼ばれています。もし、私たちが悪魔の「告発」に耳を貸し、受け入れてしまうならば、「罪責 感」や「恐れ」が私たちの心を支配するようになってしまいます。しかし、みことばの真理は、私たちの罪の代価がすでに支払われていること、負債がすでに完 済されていること、罪の処罰がすでに終わっていることを保証しているのです。また、罪を犯しても、神の前に進み出て真摯に悔い改めるならば、赦されるので す。正義の胸当てとは、私たちを覆う「キリストの義」です。

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あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのような あなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め 立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。(コロサイ2:13~14)
しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互 いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにあり ません。もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。(Ⅰヨハネ 1:7~9)