◆ヨハネの福音書1章1節~18節
1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
1:2 この方は、初めに神とともにおられた。
1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
1:4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
1:5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
1:2 この方は、初めに神とともにおられた。
1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
1:4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
1:5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
1:6 神から遣わされたヨハネという人が現われた。
1:7 この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである。
1:8 彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである。
1:9 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
1:10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
1:11 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
1:15 ヨハネはこの方について証言し、叫んで言った。「『私のあとから来る方は、私にまさる方である。私より先におられたからである。』と私が言ったのは、この方のことです。」
1:16 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。
1:17 というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。
1:18 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。
1:7 この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである。
1:8 彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである。
1:9 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
1:10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
1:11 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
1:15 ヨハネはこの方について証言し、叫んで言った。「『私のあとから来る方は、私にまさる方である。私より先におられたからである。』と私が言ったのは、この方のことです。」
1:16 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。
1:17 というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。
1:18 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。
◎ヨハネの福音書
旧約、新約66ある聖書の書巻の中で、まず始めに読むようにと勧められるのがヨハネの福音書ではないでしょうか。20章31節に、ヨハネの福音書の書かれた目的が記されています。
◇その目的
・・・これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。 (ヨハネ20:31)
ヨハネの福音書は、イエス様の神性(イエスが人となられた神であること、人となられた神のことばであること、ひとり子なる神であること)に焦点が置かれて書かれています。
◇私たちとの関係
ある牧師先生が次のような言葉でヨハネの福音書を分かりやすく紹介しています。「ヨハネの福音書とは、『主との友情を深め、育むための福音書』だと 言ってもよいかと思います。」私たちの友となるために来てくださった神のみ子イエスについて書かれのがヨハネの福音書なのです。
わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。 (ヨハネ15:15)
◇親友はいますか?
2年ほど前に、あるインターネットのプロバイダがさまざまな年代の3000人ほどの人を 対象に調査を「親友」に関する調査をしました。「親友がいますか?」という質問に対して、「いる」が47%「いない」が27%という結果になったそうで す。どの年代も、女性の方が「いる」と答えた回答が男性よりも多くなっています。その中で、「あなたにとって、どんな人が親友ですか?」という問いかけに 対して、いろんなコメントが寄せられていますが、いくつかご紹介しましょう。
Aさん「損得抜きで、ふとしたことで話したいと思う相手。話の内容は何でもあり。」
Bさん「自分を丸ごと受け入れてくれ、なおかつ自分が一番どん底の状態にある時でも自分から離れずに暖かく見守り支えてくれる友人。」
Cさん「会って話して、疲れるのが他人、疲れないのが友人、疲れが取れるのが親友。」

いろんな回答がありますが、要約すると「なんでも遠慮なく話せ、自分のことを理解し、受 け止めてくれ、何があってもいつも支えてくれる人」がきっと人々の求めている親友なのだと思います。しかし、自分を犠牲にしてまでそうしてくれる人はなか なかいないのではないかと思いますが、どうでしょうか?
ここで、私たちの友となるために来てくださったイエス様がどのような方として紹介されているか少し見てみましょう。
Ⅰ.神のことば
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。 (ヨハネ1:1~2)
「ことば」とは何でしょう?この1章1節の「ことば」、すなわち世界が創造された時に神とともにあり、神ご自身であった「ことば」はイエスを指して います。ヨハネの福音書の冒頭で使われている「ことば」はロゴスです。聖書はこのロゴス、神のことば(ことばなる神)が人となって来られた方がイエスであ ると教えています。
1.神の創造的な力 = 世界の初めからおられた方
「ことば」には創造する力(ものごとを生み出す力)があります。人間の創り出すすべての物は、形あるもの も、形のないものを「ことばによって創られている」と考えることができると思うのです。ここに並べられて いる皆さんが座っている一脚2840円のイスは、誰かがこのようなデザインと材質で作ろうと考えた結果、 ここにあるわけです。偶然の産物ではありません。では、形のないものはどうでしょう?家庭を持つことも、二人の男女が「この人と結婚したい」という願いを 持ち、どちらかが「結婚してください」とプロポーズし、もう一人が「YES!」と答えたから、夫婦になっているわけです。自分の思いを「ことば」に現した ことの 結果です。
聖書は、この世界は「神のことばである方」によって創造されたと聖書は教えています。創造主が 人となって来られた方が救い主であるイエス様です。
2.神の現れ = 恵みとまこと(真実)、愛と赦し、義と聖さに満ちた方
「ことば」はコミュニケーションの手段です。自分が誰なのか(どのような存在か)、何を考えているか、どのような気持ちなのか、意志や感情を表現す る手段です。そう考えるなら日本語や英語、中国語などの言語だけではなく、音楽や芸術も「ことば」と考えることができると思います。なぜならそこにそれを 創作した人のメッセージが込められているからです。自然界を見て、そこに偉大なデザイナーがいることに気づく人たちもいますが、それだけでは人間は十分に 創造主なる神を理解することはできません。神がご自身を現すために選んだ方法は、ご自身が人となられることでした。三位一体の教義についてはここでは深く 学びませんが、創造 主である父なる神は、ご自身のひとり子なる神を通して、ご自身を完全に現されたと単純に受け止めましょう。
「神がどのような方であるのか」「神の意志」「神の心」が神のことばであるイエスを通して、この世に現されたのです。
イエス様ご自身がすべての人間に対する神のメッセージ「神のことば」なのです。「父を見せてください。」と言うピリポにイエスがこう答えたのを覚えていますか。「わたしを見た者は、父を見たのです。」(ヨハネ14:9)イエスを通して、父なる神の恵みとまこと(真実)、愛と赦し、義と聖さが現されたのです。
Ⅱ.友なるイエス
皆さんにはきっと親しい友人が何人かいらっしゃると思います。良い友人たちに恵まれている私ですが、もし、「あなたの(人間の)親友はだれです か?」と問われたら、迷わず妻の名前をあげます。それは、今までずっといっしょにいてくれたし、たぶん(笑)これからもずっといっしょにいてくれるだろう と思うからです。ただし、人間の友情(愛、赦し、忍耐)には限界があることも学んでいます。もう一人の親友であるイエス様に助けられて夫婦として歩んでい るのが実際の姿です。
イエス様は、私たちの友、皆さんお一人おひとりの親友となるために天から来てくださった方です。聖書はこの方が恵みとまことに満ちた方であると証言しています。
そして、誰よりも信頼できる方なのです。しばらくヨハネの福音書から学んでいきますが、この学びを通して、いっしょに素晴らしいイエス様との友情を深めていけたら幸いです。
