◆ヨハネの福音書2章1節~11節
2:1 それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。
2:2 イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれた。
2:3 ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません。」と言った。
2:4 すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」
2:5 母は手伝いの人たちに言った。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」
2:6 さて、そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった。
2:7 イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。
2:8 イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。
2:9 宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、――しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた。――彼は、花婿を呼んで、
2:10 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」
2:11 イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。
2:2 イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれた。
2:3 ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません。」と言った。
2:4 すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」
2:5 母は手伝いの人たちに言った。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」
2:6 さて、そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった。
2:7 イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。
2:8 イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。
2:9 宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、――しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた。――彼は、花婿を呼んで、
2:10 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」
2:11 イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。
◎カナの婚礼
三日目にとありますが、メシアニック・ジューの人たちは「ある火曜日に」と解釈するようです。なぜなら、ユダヤ人たちにとっての第一日は日曜日だか らです。そして、もう一つ理由があるのですが、創世記の一章を読むと第三日に神が「良しとされた」という表現が二回出てきます。ユダヤ人にとっては、ちょ うど日本の大安吉日のように縁起の良い日と考えられ、第三日に結婚式が多いのだそうです。(※ただし、ユダヤ教の一日は日没から始まり次の日の日没に終わ ると考えます。)これはキリストがなされた奇跡の記録です。
しかし、大切なのは、この奇跡を通して(問題の中に)キリストの栄光が現されたということです。

Ⅰ.「ぶどう酒がありません。」 = イエス様のもとに問題を持ってくる
ここを読むと、イエス様の母マリアがおもてなしをする側の一人であったように思われます。おめでたい宴会の最中にブドウ酒が切れてしまうと言うの は、主催者にとっては大失態です。舞台裏では、どこかでワインを手に入れなければと大慌てになったことでしょう。でも、もう深夜になって、お店はどこも閉 まっています。主催者の切羽詰まって青くなっている様子を見て心配したマリアは、息子のイエス様のところに問題を持ってきました。
私たちもまたマリアのように単純に自分の抱えている問題をイエス様のもとに持って行く必要があります。
Ⅱ.「わたしの時はまだ来ていません。」 = 神の時を知る
ところがイエス様の答えは実にそっけないものでした。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」なん とも突き放したような言葉に聞こえますが、きっとイエス様はマリアの息子としてではなく、神の御子としてお答えになっていたのではないでしょうか。マリア にとっては、時間切れになる前に、なんとか解決してほしい切羽詰まった問題であったのですが、イエス様にとっては「ご自身の栄光をいつどのように現わす か」だけが問題であったのです。マリアが問題と考えていたこととイエス様が問題と考えていたことは違ったのです。また、マリアの見ていた時計とイエス様の 見ていた時計も違ったのです。
私たちは自分の時計を見て早く問題を解決してほしいと訴えるのですが、イエス様は、ご自身の栄光を現わす時を待っていらっしゃるのです。
Ⅳ.「水がめに水を満たしなさい。」 = みことばに従う
マリアの言葉に従ってイエス様のもとに来たしもべたちに、イエス様は奇妙な、また大変な指示を出します。一つが100リットルほどもある6つの空の 水瓶を水で満たしなさいと命じたのです。井戸からどれほど離れていたか分かりませんが、イエス様の言葉に従ってしもべたちは井戸と水瓶の間を何度もせっせ と往復して、とうとう全ての水瓶をふちまで一杯にしました。何のためにこんなことをしているのか、ワインといったい何の関係があるのか、恐らくしもべたち は疑問に思ったことでしょう。でも、ともかくやりとげたのです。
私たちは、イエス様が語られたことを何でもするしもべになる必要があります。

Ⅳ.「さあ、今くみなさい。」 = 神さまが介入される瞬間がある
しもべたちは、奇跡を目の当たりにしました。水が上等のワインに変わっていたのです。それは確かに、問題が解決された瞬間でしたが、キリストの栄光 を見た彼らにとっては、もはやワインは眼中になかったと思うのです。イエス様は、人の助けなしに奇跡を行うことができるお方です。空の水瓶を一瞬にしてワ インで満たすこともできたでしょう。しかし、そうされなかったのはご自身の働きに人間を参加させたいと願ったからではないでしょうか。
神さまは私たちにご自身の働きにパートナーとして参加してほしいと願っておられるのです。
