魂の変革

◆ヨハネの福音書4章

4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」 
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4:21 イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。
4:22 救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。
4:23 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。
4:24 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
4:25 女はイエスに言った。「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。その方が来られるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。」
4:26 イエスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」
4:27 このとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話しておられるのを不思議に思った。しかし、だれも、「何を求めておられるのですか。」とも、「なぜ彼女と話しておられるのですか。」とも言わなかった。
4:28 女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。
4:29 「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。」
4:30 そこで、彼らは町を出て、イエスのほうへやって来た。
4:31 そのころ、弟子たちはイエスに、「先生。召し上がってください。」とお願いした。
4:32 しかし、イエスは彼らに言われた。「わたしには、あなたがたの知らない食物があります。」
4:33 そこで、弟子たちは互いに言った。「だれか食べる物を持って来たのだろうか。」
4:34 イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。
4:35 あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある。』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。
4:36 すでに、刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに入れられる実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。
4:37 こういうわけで、『ひとりが種を蒔き、ほかの者が刈り取る。』ということわざは、ほんとうなのです。
4:38 わたしは、あなたがたに自分で労苦しなかったものを刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました。ほかの人々が労苦して、あなたがたはその労苦の実を得ているのです。」
4:39 さて、その町のサマリヤ人のうち多くの者が、「あの方は、私がしたこと全部を私に言った。」と証言したその女のことばによってイエスを信じた。
4:40 そこで、サマリヤ人たちはイエスのところに来たとき、自分たちのところに滞在してくださるように願った。そこでイエスは二日間そこに滞在された。
4:41 そして、さらに多くの人々が、イエスのことばによって信じた。
4:42 そして彼らはその女に言った。「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです。」

Ⅰ.一人の女の渇きを通して

1.渇きを満たしてくださる方に目を向けた時から変革が始まる

周囲の人の目には、自堕落な生活を送って きた彼女は礼拝とは無縁のところにいるような存在に映っていたと思います。しかし、主イエスは大勢いるサマリヤ人の中からあえて彼女を選ばれました。それは、 彼女の中にある誰よりも大きな渇きに引き付けられたからだと思うのです。渇きや痛みには大きな可能性が秘められています。主イエスは彼女の渇きが満たされ るときに何が起こるのかをご存知だったのです。

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2.あなたは変わりたいですか?

人間は確かになかなか変わらないものです。しかしそれには理由があると 思うのです。もしかしたら、本当に変わりたいとは思っていないからかもしれません。状況や環境、周りの人には変わってほしいが自分は変わりたくないという のが人間本性です。(サマリヤの女もきっとそんな人だったのではないでしょうか。)あるいは、自分の力で自分や人を変えようとして挫折してしまっているか らかもしれません。何度も失望してあきらめてしまっているのです。あるいは「神様、私の願う方法で私を変えてください」と言う人がいるかも知れませんね。 ともかく、主イエスはそのようなあなたに対して「あなたは変わりたいですか?」と問いかけておられるのです。

3.神の国を広げる

渇いていたのはこの女性だけではありません。サマリヤの町、そこに住むすべての人が 渇いていたのです。主イエスはその大きな霊的渇きを満たすためにこの女性を必要とされたのです。主は、この一人の罪深い女の渇きが満たされるなら ば、彼女を通して神の国が広がっていくことをご存知だったのです。

Ⅱ.真の礼拝者として

1.キリストにある変革

メシヤとの出会いは砂漠のような人生を歩んでいた彼女にとって衝撃的な出来事で あったと思います。過去の傷、現在の悩み、将来の不安に囚われていた彼女でしたが、彼女の関心は一瞬にして目の前にいるメシヤに引き付けられました。それ 以外のものは彼女の視界から消えてしまったと思うのです。状況が変わっているわけではありません。問題が消えてしまったわけでもありません。彼女は心から 神を求める者、真の礼拝者としての最初の一歩を踏み出したのです。

2.魂の変革

サマリヤの女が自分の渇きを認めメシヤに目を向けたように、私たちも自分の渇きを認め主イエスに目を向けるならば、私たちは真の礼拝者の一歩を踏み出すことになります。私たちは「自分で自分を変えることも、人を変えることもできない。」それが聖書の教えているところです。表面的には変えることができたとしても、根本的な部分(魂の状態)が変わらないのです。私たちを神様が造られた本来の姿に回 復することのできるお方は創造主である父なる神様以外にはありません。魂の渇き、魂の痛みは私たちの目を父なる神に向けさせる助け手なのです。

◇壊れたビデオカメラ

先日インターネット配信に使っているビデオカメラのうちの 一台が壊れてしまいました。次男が製造元のSONYのサービスセンターと連絡を取って修理してもらいました。パナソニックに問い合わせるような事はしま せんでした。製造元ではないからです。創造主から離れた人間は魂の深い部分に癒しを必要としています。しかし本当に癒すことのできるお方は私たちを造られ た父なる神以外にはおられないのです。

3.神の国に生きる

神の国(ギリシャ語:バシレイア)の直接的な意味は「神の支配」です。すなわち神の 支配が及んでいる領域に神の国があると考えることができます。イエス様はこの女性を神の国に招き入れるためにサマリヤに来られたのです。真の礼拝者とは神 の国に生きる人(神のご支配の中に生きる人)を指しています。この女性のイエス様との出会いのその後については多く語られていませんが、町に戻ってメシヤ との出会いを大胆に証している彼女の姿が「神の国に生きる人」とされた彼女のその後を暗示しています。

Ⅲ.一人の女を通して

1.明け渡し

私たちが恵み哀れみに満ちた義なるキリストの治める神の国に生きるならば、私たちは魂と霊 は癒され回復されるのです。父なる神が私たちの癒しと回復、成長を願っておられるからです。あなたは父なる神のご支配に自分自身を明け渡したいと願います か?神の国に入れられていたとしても、私たちが神様のご支配の下に自分を明け渡さない限りは、罪の束縛の中で奴隷のような生活を送ることになってしまいます。

神様は真の礼拝者(神の国に生きる人、神のご支配の下に生きる人)を通して働かれます。神の国に生きるとは、自分の思い、願い、祈り、語る言葉を神 様のご支配の下に置いて日々生活することです。神様はインスタントな方法を用意してはおられませんが、私たちが求めるなら「わが子」として助けてくださる お方です。

2.変革された人生

キリストにある変革された人生とは、神の国に生きる人生です。王であるキリストに 100%明け渡して生きて行こうとする人生です。皆さんはフィフティ・フィフティ、あるいはギブ・アンド・テイクという言葉を聞いたことがあると思いま す。利益を与え合う関係といったらば聞こえが良いですが、要は「与えてくれた分だけは、お返ししますよ」という関係です。実際はこのような関係はどちらか に何か不利益なことがあればすぐに破綻してしまいます。真の礼拝者に求められている生き方は神様との間のフィフティ・フィフティではありません。「イエス 様、あなたに私を100%ささげます」という生き方です。現実の私たちは不完全な者ですが、「そのような生き方をあなたは求めていますか?」ということで す。神様は私たちを建て直したい(変革したい)のです。しかし、私たちの心の部屋の一つに誰か立ち退きを拒んでいる占有者がいるのであるならば、主は回復 の働きを始めることができません。

《祈り》
イエス様、私の渇きを満たし、神の国に生きる者としてください。
私は、恵みと哀れみに満ちた義なる方、私たちの父なる神に自分を明け渡します。
あなたが、私を通して神の国を広げてくださいますように。