キリストによって
この世界に遣わされた者として、
主の召し(ミッション)の中に生きる時に
私たちの人生は神の力と聖霊の喜びに満ちたものに変えられます。
◆ヨハネの福音書4章34節~39節
4:34 イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。
4:35 あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある。』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。
4:36 すでに、刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに入れられる実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。
4:37 こういうわけで、『ひとりが種を蒔き、ほかの者が刈り取る。』ということわざは、ほんとうなのです。
4:38 わたしは、あなたがたに自分で労苦しなかったものを刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました。ほかの人々が労苦して、あなたがたはその労苦の実を得ているのです。」
4:39 さて、その町のサマリヤ人のうち多くの者が、「あの方は、私がしたこと全部を私に言った。」と証言したその女のことばによってイエスを信じた。
4:35 あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある。』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。
4:36 すでに、刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに入れられる実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。
4:37 こういうわけで、『ひとりが種を蒔き、ほかの者が刈り取る。』ということわざは、ほんとうなのです。
4:38 わたしは、あなたがたに自分で労苦しなかったものを刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました。ほかの人々が労苦して、あなたがたはその労苦の実を得ているのです。」
4:39 さて、その町のサマリヤ人のうち多くの者が、「あの方は、私がしたこと全部を私に言った。」と証言したその女のことばによってイエスを信じた。
◇メッセージの前に
今まで、「新しく生まれること」「神の子として生きること」「真の礼拝者として生きること」をいっしょに学んできました。今日は一度、4章に戻って「遣わされた者として生きること」を学びましょう。
Ⅰ.救われた者のアイデンティティ(今まで学んだことの中から)
キリストを通して(救われ)神のいのちをいただくときに私たちの死んでいた霊は新しくされ生かされます。新しく生まれた私たちは、神の子として神の国(神のご支配)の中に生きる特権が与えられます。神の国に生きる私たちは創造主である父なる神を愛し礼拝する者として生きるようになります。神の子であり、礼拝者である私たちは、キリストに遣わされた者として神のミッション(使命)の中に生きるように召されていると聖書は教えています。主イエスは父なる神によって遣わされた方です。神の御子が人として地上に来られたのはメシヤとしての使命を果たすためでした。主イエスは、神の国に生かされている私たちもまた遣わされた者(ここでは蒔く者、刈る者)であること、その使命の中に生きる時に満たされた人生を生きることができると教えています。
Ⅱ.「わたしの食物」
◎父の御心を行うことはイ主イエスの活力であり喜びでした。
イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。(ヨハネ4:34)
主イエスが語られた「食べ物」とはどういう意味でしょう。皆さんが食事をされるとき、空腹を満たすためだけにそうされるのではないと思います。主イエスにとっての「食べ物」とは父なる神との交わりであり、そこには常に喜びがあったのです。主イエスは、しもべの姿をとって来られた救い主でした。しかし単にしもべ(遣わされた者)として働かれたのではなく、父なる神の愛するパートナーとして働かれていたのです。主イエスはミニストリー(主の働き)を行う中で、最愛のパートナーである天の父との関係(パートナーシップ)の中から活力を得、またそれを楽しんで行っていたのです。
Ⅲ.遣わされた者として生きる
◇全部、ボクがやったんだよ!
ある日、ガーデニングの大好きなお父さんが庭の花壇に丹念に球根を植えていました。その姿を見て、幼い息子が近づいてきました。「お父さん、ボクにも手伝わせて!」息子の年齢を考えて一瞬、躊躇したお父さんでしたが、笑顔を向けてこう答えました。「や~助かるな~!手伝ってくれるのかい。」それから、一人でやればすぐに終わる仕事を、息子といっしょに倍以上の時間をかけてやり終えたのです。何度も、やり直しが必要だったからです。仕事が終わって泥んこになった幼い男の子はキッチンにいるお母さんに向かって叫びました。「見て見て、全部、ボクがやったんだよ!」お父さんは無邪気に喜ぶ息子の姿を見て、微笑んでいました。

父なる神様は、わが子である私たちと共に働くことを心から喜び、楽しまれるお方なのです。私たちがどんなに無力でつたない者であったとしても、ともに働くことを何よりも願っておられるのです。
わたしは・・・あなたがたを遣わしました。(ヨハネ4:38)
◎神の子とされた私たちも、遣わされた者として生きるように召されています。
新しく生まれ、神の子としての特権が与えられ、礼拝者として生きるようにされた私たちは、また遣わされた者(蒔く者、刈る者)として生きるように召されています。畑に出て、収穫の主と共に働くように招ねかれているのです。確かに主は私たちの死んだ魂を生き返らせ、霊の渇きを満たしてくださる方です。しかし、それだけでなく、主は「愛するわが子」である私たちがご自身の「パートナー」として生きることを求めておられるのです。その求めに応じるときに、私たちの人生は、積極的な満たしと喜びに満ちたものにされると聖書は教えています。
父なる神様、わたしは、キリストを通して新しく生まれ、神の子とされました。
永遠のいのちをいただき神の国に住む者とされました。
そして、真の礼拝者としてあなたを愛しています。
主よ、どうぞ、わたしを収穫の畑に遣わしてください!