主イエスは嵐の中にいる私たちに平安を与え、
神のご計画の場所へ導いてくださいます。
◆ヨハネの福音書6章16節~21節
6:16 夕方になって、弟子たちは湖畔に降りて行った。
6:17 そして、舟に乗り込み、カペナウムのほうへ湖を渡っていた。すでに暗くなっていたが、イエスはまだ彼らのところに来ておられなかった。
6:18 湖は吹きまくる強風に荒れ始めた。
6:19 こうして、四、五キロメートルほどこぎ出したころ、彼らは、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、恐れた。
6:20 しかし、イエスは彼らに言われた。「わたしだ。恐れることはない。」
6:21 それで彼らは、イエスを喜んで舟に迎えた。舟はほどなく目的の地に着いた。
6:17 そして、舟に乗り込み、カペナウムのほうへ湖を渡っていた。すでに暗くなっていたが、イエスはまだ彼らのところに来ておられなかった。
6:18 湖は吹きまくる強風に荒れ始めた。
6:19 こうして、四、五キロメートルほどこぎ出したころ、彼らは、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、恐れた。
6:20 しかし、イエスは彼らに言われた。「わたしだ。恐れることはない。」
6:21 それで彼らは、イエスを喜んで舟に迎えた。舟はほどなく目的の地に着いた。
◆メッセージのポイント
自分ではどうにもならない状況の中を歩んでいる時、不安や恐れに圧倒されそうな時、そこにも全てをご支配しておられる主がおられます。
Ⅰ. 嵐の中の小船
湖は吹きまくる強風に荒れ始めた。(6:18)
ガリラヤ湖の岸から岸までの最短の距離が11キロほどだと言われています。ですので、弟子たちが、強風の中で立ち往生していた場所から対岸の目的地までははまだ半分以上の距離が残っていたことになります。弟子たちの中にはプロの漁師がいましたが、彼らはガリラヤ湖の怖さを十分知っていたと思います。弟子たちの乗った小船は荒れ狂う波に木の葉のようにもてあそばれていました。日が沈んだ後の暗がりの中で悪戦苦闘していた彼らが経験したのは文字通り死の恐怖でした。

人生の中で突然の嵐に襲われたことはないでしょうか。それまで平穏だった人生が一変したような経験はないでしょうか。突然襲ってきたプレッシャーに押しつぶされそうになった経験はありませんか。不安と恐れに駆り立てられるような状況に陥ったことはないでしょうか。何もないときには、私たちは自分で状況をコントロールできるのではないかと思っています。しかし、大きな危機に直面したときの私たちの実際の姿は、嵐の中の小船乗っていた弟子たちのように頼りなく無力なのです。
Ⅱ. エゴー・エイミ
わたしだ。恐れることはない。(6:20)
嵐の中から抜け出そうと必死で櫂をこいでいる彼らの目に、水の上を歩いてくる人影が映りました。起こりえない光景を見た弟子たちは恐怖で青ざめたと思います。その時、聞きなれた主イエスの声が響きました。「わたしだ。恐れることはない。」

ヨハネの福音書の鍵となることばの一つが主イエスの語られたこの「わたしだ」です。ギリシャ語で、エゴー・エイミというこのセンテンスをヨハネの福音書の中で主イエスは繰り返し語たっています。
「わたしがいのちのパンです。」 (6:35)
「わたしは、世の光です。」 (8:12)
「わたしは良い牧者です。」 (10:11)
「わたしは、よみがえりです。いのちです。」 (11:25)
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」 (14:6)
「わたしは、世の光です。」 (8:12)
「わたしは良い牧者です。」 (10:11)
「わたしは、よみがえりです。いのちです。」 (11:25)
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」 (14:6)
すべて「わたしは○○です。」あるいは「わたしはいます。」という意味のエゴー・エイミなのです。主イエスは私たちとっての光(真理)なってくださる方であり、牧者(導き養ってくださる方)となり、神に至る道となり、永遠のいのちを与えてくださる方なのです。
出エジプト記で創造主である神が燃える芝の中からモーセにご自身を現された時に語られた「わたしは、『わたしはある。』という者である。」(出エジプト3:14)これもギリシャ語にするならばエゴー・エイミなのです。時間を超越して、創造の初めから終わりまで永遠に存在される方という意味です。主イエスが「わたしだ」と語られたのはそういう意味なのです。
嵐の中で、不安と恐れで満ちていた小船でしたが、主イエスを迎え入れたとたんに喜びの場所と変えられました。私たちは無力であっても、私たちに目を留め愛してくださっている主イエスは「エゴー・エイミ」なる方、創造主なるお方です。全てをご支配しておられる方なのです。嵐の中にいるあなたのところに来て、喜びを与え、目的地まで導いてくださる方なのです。
私は切なる思いで主を待ち望んだ。
主は、私のほうに身を傾け、私の叫びをお聞きになり、
私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。
そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。
主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。
多くの者は見、そして恐れ、主に信頼しよう。
(詩篇40:1~3)
主は、私のほうに身を傾け、私の叫びをお聞きになり、
私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。
そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。
主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。
多くの者は見、そして恐れ、主に信頼しよう。
(詩篇40:1~3)