◆ヨハネの福音書7章37節~42節
7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。
7:40 このことばを聞いて、群衆のうちのある者は、「あの方は、確かにあの預言者なのだ。」と言い、
7:41 またある者は、「この方はキリストだ。」と言った。またある者は言った。「まさか、キリストはガリラヤからは出ないだろう。
7:42 キリストはダビデの子孫から、またダビデがいたベツレヘムの村から出る、と聖書が言っているではないか。」
7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。
7:40 このことばを聞いて、群衆のうちのある者は、「あの方は、確かにあの預言者なのだ。」と言い、
7:41 またある者は、「この方はキリストだ。」と言った。またある者は言った。「まさか、キリストはガリラヤからは出ないだろう。
7:42 キリストはダビデの子孫から、またダビデがいたベツレヘムの村から出る、と聖書が言っているではないか。」
◎7章の背景
ヨハネの福音書の7章の初めに「仮庵の祭りが近づいていた。」と書かれています。仮庵の祭りは過越の祭りと五旬節と並んでユダヤの三大祭りの一つです。イエス様は、家族とは別にこの祭りの行われているエルサレムに上って行かれ、巡礼に来ている群集にご自身が神によって使わされていることを語ります。
Ⅰ.仮庵の祭り
モーセに率いられたヘブライ人がエジプトから脱出したのは紀元前13世紀のことです。その後、彼らは荒野で40年間をさまようことになりました。この期間、いつでも移動できるように簡単な小屋を建てて砂漠の日差しを避けながら暮らしていました。厳しい状況(取り扱い)の中にあっても常に神様の守りと導きがあったのです。仮庵の祭りはヘブライ人の子孫たちに、彼らの父祖が通った道を追体験するために、イスラエルに与えられた神の恵みを思い起こすために、神だけを愛し信頼することの大切さを思い起こすために、神様が守り行うようにと彼らに命じた祭りの一つなのです。
1.仮庵(仮設の小屋)
祭りの時にユダヤ人たちは仮庵を建てて7日間そこで過ごします。仮庵の屋根はなつめやしの葉や木の枝でできていますので、夜はその隙間から、月明かりや星空が見えたと思うのです。「お父さん、お星様が見えるね。」という幼い子どもに、父親は「私たちの先祖も、荒野で同じ星を見て40年間過ごしたんだよ。」そうやってイスラエルの物語を離して聞かせたと思うのです。
◎仮庵の祭りは神の恵みを思いこす祭りでした。
たとえ困難な中を通されてきたとしても、神の子とされた私たちは、沢山の恵みを受け、危険から守られているのです。このいのちも健康も、物質的なものも全ては神様から賜物であり、すでに沢山のものを受けているのです。ただ神様を愛し、神様に頼ること大切さを私たちは日々思い起こす必要があると思うのです。

2.全焼のいけにえ
祭りの7日間、合計で若い雄牛70頭が全焼のいけにえとして捧げられました。また、これと別に祭りの期間中、雄牛14頭と小羊98頭も捧げられました。すべて聖書の完全数である7の倍数です。全焼のいけにえは、ベツレヘムから十字架に至るまで父なる神の御心に完全に従われたキリストの従順を象徴しています。私たちを購うために、キリストは十字架の上でご自身を完全ないけにえとして捧げられたのです。
◎仮庵の祭りは献身を求める祭りでした。
神様はご自身が選び愛している神の民に心のすべてをご自身に捧げてほしいと願っておられます。全焼のいけにえを通してその願いを示しておられるのです。

3.水取りの儀式
祭りの7日間、大祭司が金の器でシロアムの池から水を汲み取り、イザヤ書の12章を歌いながらそれを神殿まで運びます。朝晩2回捧げられるいけにえと供え物と共に祭壇にその水を注いだのです。私たちが子どものとき学校の運動会で踊った、マイム、マイムはこの聖句を題材にして造られたフォークダンスです。
「あなたがたは喜びながら、救いの泉から水を汲む。」(イザヤ12:3)
◎仮庵の祭りは喜びの祭りでした。
40年荒野をさまよったヘブライ人にとって水は文字通りいのちでした。超自然的な守りの中で、民の渇きを神ご自身が満たされたのです。

4.柳の木
祭司たちはエルサレムの西側にある川辺から毎日新しい柳の木を切って神殿に持って来ました。それを祭司の庭にある祭壇の脇(南西側)に立てて、毎日、6日間、祭壇の周りを一周ずつ回るのです。祭司の庭は、祭司以外入ることは禁じられていますが、最後の日だけは例外で、女性、子どもを含むすべての巡礼者たちに解放されました。この日、巡礼者たちは、「主よ。どうか私たちを救ってください。」(詩篇118:25)「ホサナ」と叫びながら祈りをささげ、祭壇の周りを7回ったのです。祭壇の横には水がないために枯れてしおれて行く柳の枝が立てられていました。
◎預言の成就
「ホサナ!」(主よ。今私たちを助けてください)と叫んでいる群衆は、水がないために枯れて行く柳の枝のような存在です。彼らは自分たちのすぐそばに預言の成就として来られた方、メシヤがすぐそばにおられることに気付きませんでした。

Ⅱ.生ける水
水とは神のいのちを象徴しています。「ホサナ!」と叫んでいる群衆の姿を見て、水のないために枯れて行く柳の枝のような彼らを見て、救い主であるイエス様が叫ばれたのです。「わたしのもとに来て自由に遠慮なく満足いくまで飲みなさい!」と。
さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ7:37~38)
その日には、エルサレムから湧き水(生ける水)が流れ出て、その半分は東の海に、他の半分は西の海に流れ、夏にも冬にも、それは流れる。(ゼカリヤ14:8)