◇平和の君
旧約聖書にキリストの誕生を預言する箇所がたくさんありますが、一箇所紹介させてください。
ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。(イザヤ9:6)
救い主は、私たちに「平和」をもたらすために来てくださった方です。この「平和」は聖書の中では「平安」とも訳されていることばです。不安の中に生きる私たちに平和(平安)を与えるためにきてくださったのが救い主なのです。
◇意識調査
2014年に、ある警備会社がさまざまな年代の人を対象に「日本人の不安に関する意識調査」を行っています。その調査の結果によると、何に一番不安を感じているかのランキングは以下の通りです。
1.老後の生活や年金・・・・・40.3%
2.健康・・・・・・・・・・・・・・・・・25.6%
3.地震・・・・・・・・・・・・・・・・・・7.1%
4.異常気象・・・・・・・・・・・・・・4.8%
◇不安
不安の中に生きている私たち。上位4位を良く見てみると、二つのことが分かります。老後や健康問題の先にあるのはだれもがやがて直面する死の問題です。地震と異常気象は人間にはどうにもならない天変地異の問題です。
◇日野原重明先生
皆さん、聖路加国際病院の名誉院長をされている(クリスチャン医師の)日野原重明先生をご存知だと思います。ちょうど10年前に聖路加病院に日野原先生を訪ねて行った事があります。当時94才だった日野原先生は104才になられて相変わらず元気に働いておられます。日野原重明先生の書かれた本の中に「生き方上手」というベストセラーがありますが、もともと日野原先生が思いついたのは「死に方上手」という題だったそうですが、出版社に持っていくと「死に方上手」では売れません。「生き方上手」にしてください。ということで「生き方上手」というタイトルで出版されることになったそうです。その日野原先生がこういう言葉を語っています。
私たちの身体は土でできており、身体は早晩、土に還る。
私たちは、この土の器の中に、はかりしれない宝を入れることが出来る。
私たちの寿命は、土の身体に何を容れるかを模索することで費やされる。
器は器のためにあるのではなく、中に何ものかを容れるためにあるからである。

日野原先生の言葉は半分新約聖書からの引用です。聖書の語る「はかりしれない宝」とは神の力、神のいのち、神の与えるすべての祝福、そして平安を指しています。
◇空洞
聖書は神から離れた人間は孤児のような存在だと教えています。私たちが抱えている根本的な不安はそこから来ているというのが聖書の教えです。17世紀の有名な哲学者、数学者であるパスカルは次のような言葉を残しています。「人の心の中には、神が作った空洞がある。その空洞は創造者である神以外のものよっては埋めることができない。」

◇シャローム
先ほどの聖書のことばですが、日本語では平和(平安)と訳されていますが、もともとの言葉シャローム(ヘブル語)は単に争いのない状態のことではありません。平和、平安、繁栄、健康、充足、救い、勝利・・・豊かな意味を持ったことばなのです。
神との関係を失ったときに、人間同士の関係も壊れ、自然界との調和のあった関係も壊れてしまいました。救い主はそれを回復するために来られるというのが旧約聖書の預言です。平和の君であるキリストは、神との関係の回復もたらたすために、壊れた私たちを本来の姿に回復するために、傷ついた関係を回復するために来られた方です。聖書の語る「平和」(平安)とはそういった意味があるのです。
◇プレゼント
もう一度先ほどの聖書の箇所をお読みしますね。
ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。(イザヤ9:6)
このみどりご(赤ちゃん)は不安の中に生きるすべての人への、またあなたへの神様からの最高のプレゼントなのです。皆さんお一人おひとりが、「平和の君」である救い主をこころに迎え入れてくださることを願っています。救い主は皆さんのこころの空洞を満たしてくださる方なのです。
