◆ヨハネの福音書15章17節~18節
15:17 あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。
15:18 もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。
15:19 もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。
◎最後のメッセージ
ヨハネの福音書13章から16章は、主イエスが十字架にかかる前に弟子たちに語られた最後のメッセージです。今日学ぶ15章の後半で、主イエスは大切な三つのことを弟子たちに語られています。一つは、「互いに愛し合いなさい。」という戒めです。二つ目は「迫害に備えるように。」との促しであり、最後は「助け主である聖霊を送る。」という励ましです。
Ⅰ.互いに愛し合いなさい
主イエスは弟子たちに「わたしの愛にとどまりなさい。」(9節)とお命じになり、ここ(17節)では「互いに愛し合いなさい。」とお命じになっています。「わたしの愛にとどまり、互いに愛し合いなさい。」それが、キリストが弟子たちに残された一番大切な戒めです。キリストの愛とはどのような愛でしょうか。キリストの愛とは「友のためにいのちを捨てる愛」です。私たちに対する一方的で無条件の愛です。そこには「愛されるための条件」は一つもありません。主イエスは、十字架の上で自分のいのちを犠牲にして私たちに対する愛を示されました。

この世の“愛”はどうでしょうか。私たちの見聞きする多くの“愛”は見返りを求める条件つきの愛です。自分の利益にならなければ、要求が満たされなければ遅かれ早かれ破綻してしまいます。神の愛は私たちがどのような状態であっても愛し続けてくださる愛です。主イエスは「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。」(ヨハネ14:18)と約束してくださっています。私たちに求められているのは、救い主の前に進み出て、自分の罪ある姿、どうにもならない状態を認め、告白することです。私たちの良き父である神様は、私たちを赦し、引き起こして
しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。
もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。 (Ⅰヨハネ1:7~9)
もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。
もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。 (Ⅰヨハネ1:7~9)
私たちは自分の力で、キリストが求めておられるように人を愛することはできません。神のおられる光の中を歩み、キリストの流された血による赦しの中にとどまることによって、はじめて人々を赦し愛する力が与えられるのです。
Ⅱ.あなたがたはこの世のものではありません
主イエスは、弟子たちに「あなたがたはこの世のものではない。」と語られました。弟子たちはユダヤ人であり、(ローマ帝国に支配されてはいましたが)イスラエルの市民でした。ここで主イエスが語っているのは目に見えない「神の国」のことです。主イエスは弟子たちに「あなたがたの本当の国籍は神の国にあるのだよ。」と語られたのです。「神の国」とはキリストが王として治めておられる今はまだ目に見えない領土のことです。聖書はこの世界が罪によって壊れ、悪い者の支配の下にあると教えています。救い主は、そこに「神の国」をもたらしたのです。「神の国」には罪の赦し、救いと解放、いやしと回復があります。クリスチャンになるとは、キリストが王として治める「神の国」の市民として生きていくことです。そして、この「神の国」の一番大切な命令が、「わたしの愛にとどまり、互いに愛し合いなさい。」なのです。マタイの福音書の中で、主イエスは、「『心から神を愛せよ。そして、自分と同じように隣人を愛せよ。』(参:マタイ22:34~40)それが最も大切な戒めであり、それで十分なのだと語っています。
主イエスはここで弟子たちが遭遇するであろう「迫害」のことも語っています。幸い今の日本ではクリスチャンであることが理由で、公に迫害されることはあまりないと思いますが、歴史を振り返ると、日本でも多くのクリスチャンが信仰のゆえに迫害され、殉教者となった時代がありました。世界を見渡すとクリスチャンが信仰のゆえに迫害されている国はたくさんあります。彼らは反政府運動をしているわけではありません。ただ、キリストを主(王)として告白し、神の国に生きているので迫害されているのです。
◇敵を赦す愛
昨年2月、リビアでイスラム国によって拉致された21人のエジプト人青年の殺害映像がインターネットで公開されました。彼らは貧しい家族を支えるためにリビアに出稼ぎに来ていたキリスト教徒の青年たちでした。

この報道は世界に衝撃をもたらしましたが、事件後間もなく、アラビア語のキリスト教衛星放送の番組で、殺害された二人の兄弟にあたるベシールという人がインタビューに答えました。その内容は、聞いていた人々に別な意味で衝撃を与えるものでした。

司会者: 「あなたの信仰についてお尋ねしたいのですが、もし、『あなたの兄弟たちを殺した者たちを赦してください』と請われたら、あなたやご家族は気分を害しますか。」
ベシール: 「今日、母親と会話していた時のことです。『ISISのメンバーの一人が道にいるのを見たら、あなたはどうしますか?』と、尋ねました。母はこう言ったのです。「彼は、私たちが天の御国に入るのを助けてくれたのだから、彼を家に迎えましょう。」と答えたのです。これは母親の言葉でした。彼女は60歳を越えた無学な女性ですが、ISISのメンバーが町を通りかかっているのをみたらどうするのか、あなたの息子を殺した本人だったらどうするのか、尋ねたのです。彼女はこう言いました、「彼の目を神が開いてくださるようにと祈り、彼を自分の家に招きます。なぜなら、彼は私たちが神の御国に入るのを手助けしてくれたからです。」 司会者: 「どうか、ISISの人たちのためにお祈りしていただけますか?」
ベシール: 「神様、どうか彼らの目を開いてくださり、彼らを救い、彼らの無知と、教えられてきた誤った教えをやめさせてくださいますように。」
べシール氏は、インタビューの中で「聖書は敵を愛しなさい、呪う者を祝福しなさいと教えていますから。」と答えています。聖書は、全てのクリスチャンが同じキリストの愛の中に生きるようにと教えているのです。
Ⅲ.助け主なる聖霊
三つ目のメッセージは、主イエスが天に帰って行った後に、「助け主」なる聖霊を送るという約束です。さまざまな困難に直面するであろう弟子たちに対する励ましに満ちたメッセージです。次回、いっしょに学びたいと思います。