・・・・・牧師と教師の特権は、神の民をキリストにあって成長させることである(コロサイ1:28)。また、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストの身体を建 て上げさせることである(エペソ4:11-12)。牧師は神の働きを画一化するのではなく、むしろ多様化することによって彼らの賜物が生き生きと用いら れ、また、人々をキリストの弟子とすることができるように訓練する。牧師によって信徒が支配されることは教会史の中に見られる大いなる害悪の1つである。 それによって、神の与えられた役割を信徒も牧師も果たすことができなくなり、牧師は役立たずになり、教会の力を弱らせ、福音の進展を妨げている。何よりも 聖書の教えそのものに反している。こうして何世紀も「万人祭司制」を強調してきた教会は、今、再び、万人祭司制を強調するのである。・・・・・ (→全文)
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「大いなる害悪」とはずいぶん手厳しい表現ですが、的を得ていると思います。聖徒を整えるとは、多様な賜物を引き出して、それらが生き生きと用いられるように励ましていくことであって、支配することではない・・・ということですね。確かに独善的な支配、あるいは行き過ぎた管理は多様性を殺してしまうと思います。
