◎ヨハネの福音書21章16節~25節
21:15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」
21:16 イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」
21:17 イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか。」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
21:18 まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」
21:19 これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現わすかを示して、言われたことであった。こうお話しになってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」
21:20 ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあの晩餐のとき、イエスの右側にいて、「主よ。あなたを裏切る者はだれですか。」と言った者である。 21:21 ペテロは彼を見て、イエスに言った。「主よ。この人はどうですか。」
21:22 イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
21:23 そこで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に行き渡った。しかし、イエスはペテロに、その弟子が死なないと言われたのでなく、「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。」と言われたのである。
21:24 これらのことについてあかしした者、またこれらのことを書いた者は、その弟子である。そして、私たちは、彼のあかしが真実であることを、知っている。
21:25 イエスが行なわれたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。
◎21章の後半
今日でヨハネの福音書が終わります。主イエスがペテロに語ったことば「わたしを愛しますか。」「わたしの羊を飼いなさい。」「わたしに従いなさい。」そこから一緒に学んでいきましょう。
Ⅰ.あなたはわたしを愛しますか。
1.ペテロに対する1対1のミニストリー
主イエスは7人の弟子たちと朝食をとられた後、ペテロだけを輪の中から連れ出して、個人的に語りかけられます。弟子たちの中で一番励ましを必要としていたのは、たぶんペテロではなかったでしょうか。主が天に帰って行かれた後で教会を建てあげていくという、また神の国の良き知らせを宣べ伝えていくという大きな使命が弟子たちに与えられていましたが、リーダーであるペテロには他の弟子たちよりも大きな責任が与えられていたと思うのです。

2.三度の否認 弱さの理解
主イエスは言葉を変えて3度、「あなたは、わたしを愛しますか。」とペテロに問われます。大祭司の中庭で、ペテロが三度、主を否んだ場面が連想されます。「あなたは今はついて来ることができません。」(ヨハネ13:36)「あなたがたは皆、わたしにつまずくであろう。」(マルコ14:27)と言われた主に対して、「あなたのためにはいのちも捨てます。」(ヨハネ13)「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません。」(マルコ14:29)と豪語したペテロでしたが、彼の自信は微塵に打ち砕だかれてしまいました。決して主を愛していないわけではなかったのですが、ペテロは自分の弱さを理解していなかったのです。
3.ヨハネの子シモン
ガリラヤの湖畔で、主イエスはペテロに向き合い、「ヨハネの子シモン」と呼びかけます。主イエスがつけられた名前ペテロ(岩)ではなく、彼のもともとの名前であるシモン(葦)です。ペテロ(岩)はペテロの召しを象徴する名前ですが、主イエスがそう呼ばれなかったのは、この時点では彼がまだそれにふさわしい人物となっていなかったからでしょう。
4.この人たち以上に
「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロに対する主イエスの最初の問いかけでした。いくつかの解釈がありますが、そのまま他の弟子たちと比較して問われていると受け止めて良いと思います。主イエスはペテロにより大きな愛と献身を要求しているのかもしれませんが、むしろ、(他の弟子たちよりも)大きな失敗を犯したペテロが、より多く赦されていることを気づかせるためにこのように問われたのではないでしょうか。「私を否定したあなたを愛して、あなたの罪の身代わりとなって、わたしは十字架にかかったのだよ。そのわたしをあなたは、この人たち以上に愛しますか。」という問いかけのように聞こえます。
5.あなたがご存知です
それに対してペテロは、「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存知です。」と答えます。主イエスが自分の弱さと失敗を知った上で、いのちを犠牲にして愛してくださったことをペテロは理解し始めていたとおもうのです。「私はこんなにも弱いものですが、あなたの愛に答えようとしている私の心をあなたはご存知です。」と答えているのでは、ないでしょうか。アガペー(神の愛)とフィレオー(友情)に関してはいくつかの説がありますが、「まず神が私たちを赦し、無条件に愛されているからこそ、私たちは神を愛することができる。」ということがポイントだと思います。
Ⅱ.わたしの羊を飼いなさい
1.教会全体に対する呼びかけ
主イエスの「あなたはわたしを愛しますか。」という3度の問いかけに、心を痛めながらもペテロは「私があなたを愛することは、あなたがご存知です。」と3度答えます。そのペテロに対して、主イエスは言葉を変えて同じように3度「わたしの羊を飼いなさい。」と命じます。もちろん、この場面ではペテロに個人的に語られたことばですが、教会全体に語られていることばとして受け止めるべきことばであるとも思うのです。

2.羊飼いのこころを持った弟子たち
使徒の働きの中で、弟子たちの宣教を通して人々が救われ迫害の中に置かれた教会が前進していったのは、ペテロと一握りの使徒たちの働きの結果ではありませんでした。新しく群れに加えられた羊たちを養う多くの弟子たちがいたからだと思うのです。彼らは自分たちの主のような羊飼いのこころを持った人たちでした。
Ⅲ.あなたは、わたしに従いなさい
1.将来の苦難と殉教
主イエスは、ペテロが将来自由を奪われ、殉教の死を遂げることを伝えます。その上で、「わたしに従いなさい。」とお命じになります。ペテロとそして弟子たちの前に置かれていたのは険しい道であって、決して楽な道ではありませんでした。伝承によると、パトモス島に流刑となったヨハネを除いて使徒たちは皆、殉教の死を遂げています。聖書は「ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現すかを示して、言われたことであった。」と語っています。

2.栄光を現す生き方と死に方
私たちは、他の国々に比べればまだ豊かで自由な、平和な国に生きています。「神の栄光を現す生き方」については考えることがあっても「死に方」について考えるのは困難を覚えるのではないでしょうか。神の栄光とは簡単に言うならば神の偉大さ、また素晴らしさだと思うのです。私たちを通してそれが現される、そこに私たちの地上での望みがあり、天での望みがあると思うのです。他の誰かにではなく、復活のキリストは、私たち一人ひとりに「あなたは、わたしに従いなさい。」と呼びかけておられます。
私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。(Ⅰヨハネ4:19)