聖なる宮 – ともに建てられるために

◆エペソ人への手紙2:19~22

2:19 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。
2:20 あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。
2:21 この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、
2:22 このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。

この部分は当時の異邦人クリスチャンに対して語られています。エペソ人への手紙2章は、キリストを通して与えられるユダヤ人と異邦人の和解がテーマですが、そこには触れません。また、使徒と預言者についても、踏み込んで学びませんが、使徒に関しては復活のキリストに会った最初のクリスチャンリーダーたち、預言者は霊感を受けて神の言葉を語り、使徒たちと伴に初代の教会の土台を築いた弟子たちです。今日は、この個所を通して、いっしょに地域教会の価値観を学び、私たちグレイスハウスの現状を確認したいと思います。

Ⅰ.キリスト・イエスがその礎石です

建物の土台が使徒、預言者と語られていますが、その意味するところは使徒たち、預言者たちが伝えたキリストが建物(教会)の土台であり、礎石だということです。礎石は当時の建物を建てるうえで土台の隅に置かれた建物のかなめとなる石です。英語ではコーナーストーンです。この石を基準に、柱や壁が建て上げられていきます。教会が建て上げられていく中で、すべての基準となる石が、礎石であるキリストなのです。他のものを基準として教会を建て上げることはできません。

ディボーション、スモールグループ、宣教、礼拝、メッセージ、私たちのすべての関係、すべての働き、その中心にキリストが置かれていなければならないし、キリストが私たちの生活のすべての基準であるということです。それが、聖書が私たちに求めていることであり、クリスチャンとして生きるということは、そういうことだと思います。

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Ⅱ.建物の全体が成長し

ここでは、私たち一人ひとりというよりは、教会という共同体にフォーカスが置かれています。キリストのからだである教会を建物と表現していますが、ここで訳されている「建てる」という動詞はギリシャ語の「オイコドメオー」という建築用語が使われています。パウロが好んで使う表現ですが、別な個所では「徳を高める」という意味でも使われています。「徳を高める」と聞くと「人格的に立派な人になる」のように考えてしまいますが、そういう意味ではありません。「未完成なものが建て上げられていく」と考えたら分かりやすいと思います。
「この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し・・・」とありますが、キリストのからだに属している私たちが完成を目指して成長するためにはお互いを必要としていることも忘れてはなりません。

Ⅲ.聖なる宮となる

「聖なる宮」は神殿を指していますが、ここで使われている言葉は「ナオス」です。同じ神殿であっても、神殿全体指す言葉ではなく「至聖所」を指すことばが使われています。神の臨在がある聖なる宮、神の栄光が現れる場所を表しています。上にも書いたように、個人々々のクリスチャンというよりは教会に、一つの地域教会というよりは、キリストからだとしての一つの教会にフォーカスが置かれています。聖霊の宮(Ⅰコリント6:19)である私たち一人ひとりが、グレイスハウスという地域教会が、キリストのからだという聖なる宮の一部分なのです。

この欠けだらけの、たくさん傷を持った私たちが集まった教会が聖なる宮、また神の御住まいであるとはとても不思議なことですが、聖書の教える大切な真理です。キリストの犠牲の死と復活を通して、信じる者にそのような立場が与えられているのです。神様は教会に聖霊を送られ、私たちの内に住む聖霊によって、私たちをキリストの体の中につなぎ合わされ、建て上げようとされています。主はその尊い働きに参加するように、私たちに呼びかけておられるのです。キリストはやがて完成した栄光の教会、ご自身の聖い花嫁を迎えに来られると約束しておられます。

地域教会の文化や活動は、多様です。グレイスハウスにも個性があり、いろいろな活動をしていますが、そのすべての土台がイエス・キリストでなければなりません。私たち一人ひとりが神のパートナーとして働くときに、聖霊は私たちを通して教会を建て上げてくださるのです。

グレイスハウスという地域教会のレベルでこのことをいっしょに考えていきたいと思います。