一番たいせつな戒め – 真実な愛

◆マタイの福音書22:35~40

22:35 そして、彼らのうちのひとりの律法の専門家が、イエスをためそうとして、尋ねた。
22:36 「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」
22:37 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
22:38 これがたいせつな第一の戒めです。
22:39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
22:40 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」

パリサイ人たちは、聖書に613の戒めがあると教えていました。「そのうちのどれが(最も)大切な戒めか?」という質問なのですが、主イエスをことばの罠にかけようとの企みから出た質問です。主はそれを見抜いて、律法全体を簡潔にまとめ、「神を愛すること」と「隣人を愛すること」であると答えられました。マルコの福音書にはその後の様子は書かれていませんが、主イエスのこの答えは質問者を黙らせてしまったようです。

私たちにとって神を愛し、隣人を愛するとはどういうことでしょうか。ディボーションを持つことも、家族を大切にすることも、教会の仲間と礼拝することも、時間を過ごすことも、地域の人々に仕えていくことも、私たちが創り主である神様を愛することの自然な表現です。神様から愛されるためにそうしているのではありません。

この個所は私たちにいくつかの大切なことを教えています。まず、神様の求めている愛は、「独占的な愛」であって、私たちが「他のなによりも神を愛する」ことです。次にその愛は「真実な愛」、「偽りのない愛」でないとなりません。真実な愛は、私たちに誠実(正直)であることを求めます。最後に、真実な愛は私たちに変化をもたらします。私たちを愛してくださっている方が望んでいる姿になりたいと願うからです。

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Ⅰ.独占的な愛・・・他のなによりも愛する

この個所で、「愛しなさい」と語られている戒めは、他の何よりも愛しなさいという意味です。優先順位のことが語られています。神様を愛している、しかしそれが2番目、3番目だったら、「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして・・・愛している」ことにはなりません。結婚されている方たちに、お尋ねします。まず女性の方たち、あなたの夫にこう言われたらどう感じますか。「すべての女性の中で君を2番目に愛しているよ。」次に男性の方たち。あなたの妻に「あなたは3番目に大切な男性よ。」と言われたらどうでしょう?

神様の私たちに対する愛は、ある意味で「独占的」な愛です。でも、人間の独占的な愛と違って、神様は私たちを拘束しません。私たちの自由な心から出た愛の応答を求めておられるからです。神様は力づくで、私たちに愛させることも、取引して愛させることもなさりません。私たちに、ご自身との関係を、選び取ってほしいのです。

Ⅱ.真実な愛・・・誠実な心で愛する

愛は「真実」であることが求められます。心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして神を愛するとは、隠し事のない心で愛するということです。神様は私たちがどんなに弱く欠けのある存在かよくご存じです。神様の助けがなければ何度も同じ失敗を繰り返してしまう者、たやすく誘惑に負けてしまう者であることを良く知っておられるのです。それでも、神様は私たちの自由を奪おうとはされません。私たちが真実の愛に目覚めるために、従わない自由も与えておられるのです。

Ⅲ.聖なる宮となる

「聖なる宮」は神殿を指していますが、ここで使われている言葉は「ナオス」です。同じ神殿であっても、神殿全体指す言葉ではなく「至聖所」を指すことばが使われています。神の臨在がある聖なる宮、神の栄光が現れる場所を表しています。上にも書いたように、個人々々のクリスチャンというよりは教会に、一つの地域教会というよりは、キリストからだとしての一つの教会にフォーカスが置かれています。聖霊の宮(Ⅰコリント6:19)である私たち一人ひとりが、グレイスハウスという地域教会が、キリストのからだという聖なる宮の一部分なのです。

チャーチ・オン・ザ・ウェイのジャック・ヘイフォード牧師は、私たちと神様との関係について、次のように語っています。「あなたが成長するために、あなたが実を結ぶために、一人の人として、イエス・キリストにあって満たされるために、そのための最も大切なカギは、神さまに対して誠実な心を持つことです。神のことばである聖書を学ぶことは成長するためのカギの一つではあります。しかしそれは一番大切なカギではありません。一番大切なカギは、神様に対する誠実な心です。祈りなしには霊的な人になることはできません。しかし、祈りが霊的に成長するために一番大切なカギではありません。誠実な心を持つことが、あなたの人生で最も大切なカギなのです。霊的な生活(成長)に関して、いろいろな要素(カギ)を挙げることができるでしょう。心から捧げること、礼拝、奉仕の心を持つこと、御霊の賜物、御霊の実。他にもっと多くの要素(カギ)を挙げることができるかもしれません。しかし、それらはカギの一つであったとはしても、最も大切なカギではありません。最も大切なカギは、神様に対する誠実な心なのです。」

聖書が語っている「神様との誠実な関係」とは、神様の愛のご支配に、私たちが自分をそっくり明け渡すことです。一部分ではなく・・・。ダビデは大きな失敗、愚かな過ちを犯しましたが、神様との関係を失いませんでした。それは彼が、最終的に神のご支配に自分を明け渡していたからです。

誠実と正しさが私を保ちますように。私はあなたを待ち望んでいます。(詩編25編21節)

Ⅲ.変化をもたらす愛・・・真実な愛は私たちを変える

「ありのままで愛してくれる。」「ありのままで受け入れてくれる。」よくこの「ありのままで・・・」という表現を聞きます。確かに神様は私たちをありのまま愛してくださいます。私たちは神様の呼びかけに答えてありのままで進み出ていくべきです。でも、ありのままの自分を認めることは、痛みのともなう作業です。私自身のことを考えても、自分の本当の姿に目を向けるというはそんなに簡単ではないです。まして、それを人の前で認めるのは勇気が必要ですし、プライドを犠牲にしないとならないでしょう。私たちが進み出ていくならば、神様はありのままの(自分ではどうにもならない)私たちを赦して受け入れてくださいますが、「そのままでいい」ということではないです。神様は力づくで、私たちを変えようとはなさいません。神様に対する真実な愛が芽生えるのを待っておられるのです。「あなたの望まれる姿になりたい」という願いが私たちに生まれてくることを神様は待っておられるのです。「こんな私だけど、神様はこんなにも愛してくださっているんだ。」という理解が真実な愛の出発点です。キリストが十字架の上で私たち一人ひとりのために支払われた犠牲がなければ、私たちは神様の真実な愛、私たちを変えることのできる愛を知ることはできません。