見よ。それは非常に良かった。 - 創造:物語の始まり

◆マタイの福音書22:35~40

1:1 初めに、神が天と地を創造した。
1:2 地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。
1:3 そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。
1:1 初めに、神が天と地を創造した。
1:2 地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。
1:3 そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。

◇   ◇   ◇

1:26 そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。
1:27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
1:28 神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」

◇   ◇   ◇

1:31 そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日。


◎壊れた世界

一枚の写真をお見せしたいと思います。切り抜かれてスカスカになった新聞の写真ですが、反対側が見えて、ほとんど何も残っていませんね。これは、ある人がその日の朝刊から否定的な記事を全部切り抜いた後の写真です。これを見ると、この世の中がどんなに傷ついて壊れているかがわかると思います。しかし、聖書は、神様がお造りになった世界が何一つ損なわれていないうるわしい世界であったと教えています。

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◎物語の始まり

創世記の1章に描かれている世界は、非の打ちどころのないうるわしい世界です。そこに登場する最初の人間もまた神の形に似せて造られたうるわしい存在でした。神様によって創造された世界も、そこに生かされていた人間も、神様の愛のご支配の中にすべてが調和の中に置かれていたからです。ここから聖書が教える人間の本来のあるべき姿をいっしょに学んでいきたいと思います。

Ⅰ. 創造主なる方

聖書の神は天地万物すべてをお造りなった創造主です。「初めに、神が天と地を創造した。」とありますが、それは何もないところから作り出したという意味です。人間が何かを作り出すときには必ず材料や原料を必要としますが、創造主は、無から有を生み出すことのできるただ一人のお方です。聖書は目的をもって作られたこの世界に、私たち一人ひとりが目的をもって生かされていると教えています。神様はこの宇宙の設計者であり、人間にとっては生みの親なる方です。

Ⅱ. よしとされた it was good!

この世界、自然界をお造りになっていく中で、神様がそれをご覧になり「よしとされた。」と5回繰り返して語られています。(10、12、18、21、25節)日本語の聖書で「よしとされた。」となっている個所は、えいごでは it was good と訳されています。こちらの方が単刀直入で分かりやすいですね。神様は、ご自身が造られた一つひとつの被造物を見て、よろこばれ、満足されたのです。一つひとつが美しい作品であり、作者である神様の心にかなっていたのです。

Ⅲ. 神のかたち

聖書は人間が「神のかたち」に造られたと教えています。創造主である神様との関係において、被造物の中で人間だけに特別な立場が与えられています。「神のかたち」に造られたとは、自由な意志、理性、豊かな感情を持った存在であるとともに、愛する対象(パートナー)として造られたということです。神を愛し、妻を愛し、妻と共に被造物を愛し管理するためにいのちが与えられたのです。神の愛のご支配の中にすべての関係が平和に保たれ調和したうるわしい世界がそこにあったのです。神様はご自分の最愛のパートナーとしての立場を人間に与えられたのです。

Ⅳ. 見よ。それは非常によかった。 it was very good!

創造の業を終えた神様はご自身の創造された世界をご覧になって、そのすばらしさに感激します。日本語の聖書で、「見よ。それは非常によかった。」と記されている個所は、英語の聖書では it was very good と訳されています。神様がごらんになった世界は非の打ちどころのないうるわしい調和した世界でした。最高に素晴らしい神様が、最高に素晴らしい世界と、最高に素晴らしい人間を造られたのです。それが、創世記1章に書かれている、聖書の物語の始まりです。

ここでは人間は何まだの働きも始めていません。神様は、まだ、なんの成果も見せていない人間をご覧になって、心から愛され満足されたのです。「見よ。アダムの働きは非常によかった。」とは書いてありません。神様はご自身が造られた作品だから、ご自身のパートナーだから、アダムを愛されたのです。私たちの生きている社会は成果主義の社会です。「何ができたか」、「何をしてくれたか」、によって評価される社会ですし、人間関係もそうかもしれません。しかし幸いなことに、聖書の神様と人間との関係はそうではありません。神様はあなたが、ご自身の子どもだから愛してくださるのです。この世界はどこから見ても壊れています。そこに生きている人間も神様から離れ、罪の中で傷つきさまよっています。しかし、聖書は私たちに創造主である神様との関係を取り戻し、その愛のご支配の中に生き、癒され回復する道を示しています。いっしょに聖書の物語を旅しましょう。