何を求めているのですか? - イエスの姿へ - 1

◎二つの質問

メッセージの前に、皆さんに二つの質問をしたいと思います。一つめは、「あなたは、何を求めていますか?」もう一つは「神様はあなたに何を求めておられると思いますか?」です。

<◆ヨハネの福音書 1章35節~39節

1:35 その翌日、またヨハネは、ふたりの弟子とともに立っていたが、
1:36 イエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の小羊。」と言った。
1:37 ふたりの弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。
1:38 イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て、言われた。「あなたがたは何を求めているのですか。」彼らは言った。「ラビ(訳して言えば、先生)。今どこにお泊まりですか。」
1:39 イエスは彼らに言われた。「来なさい。そうすればわかります。」そこで、彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を知った。そして、その日彼らはイエスといっしょにいた。時は十時ごろであった。

Ⅰ.何を求めているのですか。

主イエスは、自分の後をついて来るふたりを見つけて「何を求めているのですか」と尋ねます。主イエスがふたりに投げかけられた質問は、私たちにとっても重要な問いかけとなります。平穏な生活でしょうか、祝福でしょうか、幸福でしょうか、繁栄でしょうか。ヨハネの弟子であったこのふたりは、神の小羊と呼ばれた主イエスにそれ以上のものを期待していたのではないかと思います。彼らは真剣な求道者でした。この人の後についていけば、きっと意義あるすばらしい人生を送るヒントが与えられると思ったに違いありません。主イエスの率直な問いかけに対して、ふたりは「今どこにお泊まりですか」と、かみ合わない質問を投げ返します。これに対する主イエスの答えは意味深いものでした。「来なさい。そうすればわかります」もちろんどこに宿泊しているかが分かるという文字通りの意味もありますが、ご自身に従ってくるならば、「あなたたちが真剣に探し求めている物を見出すだろう」という答えでもありました。

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Ⅱ. キリストの弟子

このふたりの他にも主イエスに従う弟子たちが加えられていきました。主に従って歩み始めた時から、彼らの価値観、考え方、生き方が変えられていきました。その様子は、福音書と使徒の働きに記されています。彼らの神のイメージも劇的に変えられました。主イエスは神を「わたしの父」と呼び、また「わたしを見た者は、父を見たのです」(ヨハネ14:9)と語られました。イエス・キリストを通して現された聖く愛と哀れみに満ちた神の姿は、律法学者たちが教える神の姿とはかけ離れたものでした。「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ1:12)これも当時の宗教指導者たちにとってはとんでもない教えです。キリストの弟子になるとは「神を父として生きること、イエスを主として生きること、神の子どもとして生きること」を意味します。新しいアイデンティティが与えられるのです。

Ⅲ.メタノイア

「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マタイ3:2)宣教の初めに主イエスが語られたことばです。「悔い改め」はギリシャ語ではメタノイアということばが使われていますが、本来の意味は、「向きを変える」「心を変える」という意味です。もちろん自分の罪を認めて神の前に悔いるという意味もありますが、それだけでは狭い解釈になってしまいます。悔い改めには、キリストを通して「神がどのような方であるかを知り、それを認めること」「自分がどのような存在であるかを知りそれを認めること」も含まれています。主イエスに付き従っていった弟子たちが神を父と呼ぶようになり、神の子どもとして神の国に生きたように、悔い改め(メタノイア)を通して、私たちのアイデンティティも変えられていかなければなりません。そこにキリストの弟子として生きて行く鍵があります。新しく与えられた神の子としてのアイデンティティの中に生きるためには間違った神のイメージ、古いアイデンティティを捨てていかなければなりません。

Ⅳ. イエスの姿へ

皆さんの中で、自家製の梅酒や漬物を作っていらっしゃる方はいますか。梅酒にはいろいろ作り方があると思いますが、一晩で梅酒はできません。お酒に梅を漬けて1年くらいは寝かせないといけないそうです。漬物はどうでしょうか。たくあんだと樽の中で半年以上寝かせないとならないそうですね。梅干しだと3年ほど寝かせるとおいしくいただけるそうです。

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さて、クリスチャンはどうでしょうか。私たちは主イエスに従った時から、キリストの弟子とされていることには間違いありません。しかし、一夜にしてイエスの姿へと変えられていくわけではありません。二つのことを理解する必要があります。その一つは自力(自分の意志の力)でイエスの姿に変えられていくのではないということ。二つ目は、何もしないで自動的にキリストの姿に変えられていくのでもないということです。変えられていくためには、大切な5つの要素があります。その5つとは、神のことばを受け入れること、神の家族とつながること、神のことばに生きること、聖霊に働いていただくこと、そして時間です。

最初の質問を思い出してください。一つは「あなたは、何を求めていますか?」二つ目は「神様はあなたに何を求めておられると思いますか?」でしたね。二つ目の質問にだけお答えしたいと思います。神様は私たちにイエスのようになってほしいのです。それが私たちの願いであるならば幸いです。「イエスの姿へ」をテーマに引き続き学んでいきたいと思います。

私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。(Ⅱコリント3:18)