キリストにあって

◎キリストにあって

新約聖書の中で、「キリストにあって」「主にあって」という表現が繰り返し、使われています。英語で言うなら、in Christ です。コリント人への手紙から一つ例を見てみましょう。

◆Ⅱコリント人への手紙第二5章17節~21節

5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
5:18 これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。
5:19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。
5:20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。
5:21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。

神の和解について語られている場所ですが、「キリストにあって」、私たち信じる者に神の和解が与えられていることが理解できます。

◎神の物語

歴史、History はすなわち His Story 「神の歴史」であるとよく言われます。聖書は神の物語ですが、神の真実の物語と言った方が良いでしょう。私たちは「教会」という名前で、聖書のストーリーの中に登場します。

このストーリーにはいくつかの大切なポイントがあります。

◇一番目に、主人公である神様がとてつもなく良き方であるということです。どれほど良き方であるかを一言で言うなら、私たちのためにご自身のいのちを捧げてくださるほど良き方なのです。

◇二番目に、神の作品である私たちは神様の目に価値ある尊い存在であるということです。たしかに罪によって傷つき損なわれていますが、神の御子がご自身のいのちと引き換えに買い取ってくださるほど価値ある存在なのです。

◇三番目に、神様がご自身のものとされた私たちを今、回復してくださっていること、そして将来、完全に回復してくださることです。これは全て、キリストにあって、私たちに現され、与えられている希望です。

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◎ハッピーエンド

私たちが生きている神の物語の中では、山あり谷あり、波乱万丈の場面が繰り広げられますが、必ずハッピーエンドで締めくくられる物語なのです。物語の途中では、敵が勝利を収めたかのように見える絶望的に思えるような場面もありますが、最終的にはすべての悪が滅ぼされ、キリストと教会の完全な勝利が約束されている物語なのです。必ず最後はそこにたどり着くのです。

私たちは、この物語の途中を生きています。今、目の前に展開している場面の中では、八方ふさがりの中で途方に暮れているように見えるかもしれません、祈りが聞かれていないように見えるかもしれません、打ち負かされているように見えるかもしれません、しかし、神様はキリストにあって私たちを勝利者と呼んでくださるのです。なぜなら、すべてに打ち勝たれたキリストに私たちがつながっているからです。

しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。(ローマ8:37~39)